こんばんわ、スハユと申します。
高山線客車列車に興味がお有りの方はお付き合いください。
そして他にご存知の事がございましたら、ご教授いただけるとうれしいです。
私は高山線客車列車の無煙化は「昭和43年10月時刻改正」で完了したと、ずーっと思っていました。
ですが、弘済出版社時刻表(1969年1月号)が偶然手に入り、調べると間違っていたことに気づきました。
この時刻表には蒸気機関車牽引列車に「蒸気機関車のマーク」が記されておりラッキーでした。
岐阜〜高山間の普通客車列車1往復(726レ・727レ)が蒸気機関車マーク無しで残っています。
美濃太田区のDD51牽引でした。
高山〜富山間には蒸気機関車牽引の普通列車2往復(821レ・823レ・836レ・838レ)が掲載されています。
機関車配置表1969(鉄道ファン誌)によれば、
高山機関区にC58216・389と第1種休車の266の3両が配置されており、
2両使用で1両予備として客車牽引に使用したのではと思われます。
猪谷〜富山間のローカル客車列車は3往復(844レ〜849レ)運転されていますが、
一部列車が蒸気機関車マーク付きです。
富山第一区にはC11が2両(263・268)配置されており、客車用に使用されたと思われます。
又、飛騨金山〜高山間の貨物列車に使用したD51は3両(201・338・522)いますが
全機とも第1種休車に指定されており、転出待ちかと思います。
高山〜富山間の貨物用9600は高山区に配置が無く、廃車や富山第一区などへ転出したと思われます。
こうして見ますと、私が社会人となった頃1968年〜1969年の高山方面には
結構、蒸気機関車が牽引する客車列車が残っていたんだなーと驚きます。
もちろん、中にはすでにDD51牽引に変わった列車もあったでしょうが多いです。
初めての職場が複雑な交代制で動きが取れにくく、たった1本の撮影時間帯の良いDD51牽引列車「727レ」や
近場の美濃太田で最後の入換に励む「C11」「C58」撮影さえもままならない間に、
1969年に客車列車の終焉を迎えました。
写真は親に修学旅行用として初めて買ってもらった、オリンパスペン・ハーフサイズカメラ
(今のフィルム式簡単カメラと同じくシャッタースピード・露出は自動ですが、焦点距離は遠・中・近を手動で切替ます。
性能は現在の固定焦点式の簡単カメラに完全に負けます。
フィルムは普通サイズの半分しか使わないので2倍の枚数が撮れます)で1969年頃に撮影したものです。
手振れに特に注意しましたが、とにかく調子が悪く写真が出来上がるまで心配でした。
話題は変わりますが
JR東海美濃太田車両区構内で長らく雨風にさらされ、ベンチレーターも撤去された哀れなオハフ46の3両が
先月末までに浜松工場へ大型トレーラーで陸送されたようです。
ひどい退色と傷みのはげしい車体を見るのはつらかったのですが、それでもよく癒してもらいに会いに行きました。
廃車解体でなく是非とも復活・走行してほしいと祈っています。
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