倶楽部メモ(691)
平成24年 1月 1日〜 1月11日

謹賀新年 ・ 「西海号」に係るサスペンス3題


投稿者 クモイ103
投稿日 2012年 1月 1日(日)01時13分0秒
タイトル 謹賀新年
あけましておめでとうございます。
平成24年が平穏で明るい年になりますように。
今年もよろしくお願いします。




投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2012年 1月 1日(日)10時20分33秒
タイトル 迎春
あけましておめでとうございます。
昨年は日本全国で大変な一年でありましたが、
今年は明るく良い年になりますように。
本年も変わらずのご愛顧よろしくお願いいたします。




投稿者 くーたん
投稿日 2012年 1月 1日(日)22時45分48秒
タイトル 新年明けましておめでとうございます。
 01/01(日)上野。

2021レ[13番線・20:50入〜21:15発]
  (1end)
 EF64 1031[19-10<19-10-1>AT]双頭連結機
[川崎重工 富士電機 昭和56年(P PS)換算=9.5]
  (2end)
   ↑
 <以下・盛アオ9両>
〇,カ ニ 24 109(金帯)[20-9<23-1-12>AT]電源・荷物車
自重=48.8t・換算[積=5.5・空=5.0]・荷重5t。
8,オハネフ24 12(金帯)[21-1<23-1-28>AT]B寝台・ゴロンとシート
自重=33.2t・換算[積=3.5・空=3.0]・寝台数30。
7,スロネ 24 552(金帯)[21-8<23-8-5>AT]A寝台・シングルDX
自重=37.3t・換算[積=4.0・空=3.5]・寝台数11・定員22。
6,オハネ 24 553(金帯)[22-8<22-8-11>AT]B寝台・ソロ
自重=35.5t・換算[積=3.5・空=3.5]・寝台数28。
5,オハネ 24 552(金帯)[22-6<22-6-2>AT]B寝台・ソロ
自重=34.5t・換算[積=3.5・空=3.5]・寝台数28。
4,オハネフ24 10(金帯)[22-10<22-9-24>AT]B寝台
自重=33.2t・換算[積=3.5・空=3.0]・寝台数30。
3,オハネ 25 152(金帯)[22-9<22-9-8>AT]B寝台
自重=32.0t・換算[積=3.5・空=3.0]・寝台数34。
2,オハネ 24 49(白帯)[22-8<22-7-26>AT]B寝台
自重=31.9t・換算[積=3.5・空=3.0]・寝台数32。
1,オハネフ24 8(白帯)[21-6<22-12-8>AT]B寝台・ゴロンとシート レディース
自重=33.2t・換算[積=3.5・空=3.0]・寝台数30。

※オハネフ24 12・オハネフ24 10。の緩急位置は↓東京方面。

 ※備考
AT⇒秋田総合車セ
 <>⇒<台車の部分>

 ではでは〜。(^^ゞ



投稿者 雑魚
投稿日 2012年 1月 2日(月)17時08分40秒
タイトル 謹賀新年
謹んで新年の御慶びを申し上げます。昨年は、従来の価値観ないし行動様式が大きく
変容する程に、東日本大震災に翻弄されました。巷間「絆」の文字が、何かにつけて
取り沙汰されていますが、その事を含め、今年は、凡庸で良いから、当たり前の事が
自然に推移する様な世の中であって欲しいと、切に願うばかりです。

管理人様をはじめ、皆様には御世話になりました。今年も宜しく御願い申し上げます。




投稿者 ED76109
投稿日 2012年 1月 2日(月)19時45分22秒
タイトル 遅ればせながら・・・
 新年おめでとうございます。「北の大地」在の「ED76109」であります。


 今年は、「鉄」の先達の皆様方にとりまして、充実かつ平穏な日々であらんことを・・・。それでは、一句


   旅人の 想ひ繋ぎし 青列車 永久に走れや 北の大地を


 今年は良きことが「PC」たちに数多くありますことを祈念いたします。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 赤まんと
投稿日 2012年 1月 4日(水)10時27分18秒
タイトル あけましておめでとうございます。
年末から厳しい寒さが続き、地域によっては例年の3倍もの積雪とも伝えられ、その苦労がしのばれます。
上野にやってくる夜行列車に目立った遅れは無い様子で、元日も「カシオペア」「北斗星」が定時にやってきました。
実家で甥に見せてやると、おおはしゃぎでした。
とくに「カシオペア」は結構飛ばしていて、感激もひとしおだったようです。
昨日は実家から職場に向かいましたが、ちょうど「あけぼの」がやってくる時刻であることを忘れていました。
家を出たところで、向かいのマンションごしにロクヨンのモーター音が響き、
くーたん様の記録から差し替えがなければ、しんがりはカニ24 109でしょう。
いつもより大きめな轟音を残し走り去る音が聞こえ、悔しい思いをしました。
夕方には専用機510号に牽かれ「カシオペア」定時に通過。
今朝は「北斗星」定時に来ました。まずは穏やかな年始です。

昨年は277本の編成記録を残し、累計は4979本に達しました。
調査対象が減り続け、調査本数も比例し減る傾向にあります。
今年は年間200〜250本ペースで編成記録を残せればと考えています。

本年もよろしくお願いいたします。



投稿者 ED76109
投稿日 2012年 1月 6日(金)00時59分51秒
タイトル 意外な映像に出会いました
 失礼致します。「ED76109」であります。


 今年初めての「戯言」を述べさせていただきます。
とは言うものの、先達の皆様方には既にご存じの事柄ばかりでありましょう。
ただし、今回は「映像ニュース(朝日新聞社・中日新聞社)」のDVDからの映像であります。


 1 「朝日ニュース(昭和37年度版)」で、「国鉄運賃の値上げ」に係る映像が流れました。
解説によれば「新幹線」工事の開始によって、建設資金確保のために「運賃値上げ」がなされるという説明だったのですが、
であれば「サービスの向上」に努めて欲しいという皮肉も含まれた内容。
「151系こだま」や「EF58」牽引の「トカホセ旧客急行」も映像を飾りましたが、
メインは「通勤風景」であり、「新宿駅」での大混雑風景が印象的でありました。
とにかく、恐ろしいほどの人集りと「101系のドア」に一人ずつ配置された「駅員」氏の引きつった表情は
インパクトがありました。
ついには、先頭車のドアが閉まらなくなってしまい、
駅員氏が次駅まで添乗してロープで乗客の安全確保に努めるといったもの。
さらには、「SL牽引(C58?)」の「旧客レ」の「スハニ(?)」に乗り切れない「乗客」が鈴なりの映像もあり、
「昭和30年代の通勤地獄」は筆舌に尽せないものであったことを改めて思い知らされた気が致しました。


 2 「中日ニュース(昭和50年度版)」には、ある「客車列車」の「電車化」を巡る騒動についてのレポートがありました。
もう先達の皆様方には、一目瞭然でしょうが、「425レ」の騒動記であります。
冒頭は「東京駅正面の国労街頭演説会」での「長野行の伝統ある客車レを守ろう」との一声から始まりました。
しかし、小生の興味を引いたのは、実際の「425レ」の映像。
「アルプス広場」に並んでいたスキー客の「行進」からの乗車シーンと荷物で網棚が一杯になった車内風景は、
懐かしさ一杯でありました。
さらには、「早暁の甲府駅」での「荷物積み替え」や「駅そば屋」の行列、「EF64」を撮影する「少年ファン」。
そして「姥捨」付近の雪景色も見られて満足しました。
しかし、懐かしき「西イイ」も姿を消して、かれこれ35年が経過しているのですね・・・。


 3 「中日ニュース(昭和54年度版)」には、当時「ゲタ電」が活躍していた
「鶴見線」のことが取り上げられておりました。
特にクローズアップされていたのは「大川支線のクモハ12」。
京浜工業地帯のど真ん中で活躍する「単行EC」は、小生も高校の「鉄」仲間と足繁く通ったものであります。
さらに、沿線の「武蔵白石」や「安善」などの駅風景も描かれており、これまた懐かしさで一杯でありました。


 今回、偶々借りた「DVD」でしたが、「ニュース映画」には懐かしき「鉄」映像が満載されていることを知り、
小生には大きな収穫でありました。
今後も、機会あれば「ニュース映像」を借りまくり、懐かしき「鉄映像」を眺めたいものであります。

 長々と失礼致しました。
以上、「425レ」の走行音に併せて、できれば「ハイケンスのセレナーデ」が聞きたかった
「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 きむたお
投稿日 2012年 1月 8日(日)11時34分52秒
タイトル 平成24年あけましておめでとうございます
遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。

今回の年末年始は中国拠点側の休日が土日がらみで長かったこともあり、一時帰国する時間を得られました。
休み中は家族とともに過ごすのはもちろんですが、
10月帰国以来、買っておいてもらった模型をいじったりして楽しむことができました(^^;)

さて、元日夕方、富山駅前までぶらっと出かけ、「トワイライトエクスプレス」を眺めてきました。
2012年1月1日、富山、8001レ
EF81 114+カニ24 14+第1編成

スモークガラスなので中は良く見えませんでしたが、外装は塗装したてででピッカピカ。
食堂車からも良い匂いが漂っておりました。
11年前に1度だけ乗車したきりですが、もう一度、今度は妻、娘にも乗せてやりたい、と思いました。

*この件、いつもなら、平成24年にちなんで24系客車!と行きたいのですが、
今、富山のJRでは24系客車しか見られないのですね・・・。寂しい時代です・・・。

今年も、中国の客車列車情報を中心に参加させていただきます。よろしくお願いいたします。




投稿者 ヒゲ無し雷鳥
投稿日 2012年 1月 8日(日)14時07分9秒
タイトル おそまきながら謹賀新年
ご無沙汰しております。
年末休暇を利用して新系列寝台の保存車両を訪ねてきました。
夢空間車3両が保存されているのは喜ばしいことなのですが、
大洗の北陸用ソロ車が早々と撤去されているのは残念でした。
昔スハネ30をもとめて仙台遠征するも、撤去済だった悪夢が
甦ってきました。
次回は九州に点在するなは用デュエット車、はやぶさ用ソロ車、
はやぶさ用シングルDXを訪ねてきます。

追伸
ED76109様が書き込まれてた「寝台特急の青森信号所での
カマ交換が従前の青森駅実施に戻る」との情報に触発され撮影
してきた画像です。




投稿者 ヒゲ無し雷鳥
投稿日 2012年 1月 9日(月)22時10分48秒
タイトル 訂正とお詫び
昨日の書き込みの中でED76109様の情報を引用させていただきましたが、
「可能性がある」情報を断定調で書き込みしてしまいました。
ED76109様並びにご覧になられた皆様に誤解を与える表現を用いたことを
おわび致します。



投稿者 ED76109
投稿日 2012年 1月10日(火)01時27分9秒
タイトル 「西海号」に係るサスペンス3題
 おばんでございます。「ED76109」であります。


 ヒゲ無し雷鳥様

 ご無沙汰しております。今年もよろしくお願いいたします。
あくまで「今年の三月改正で青森駅で『北斗星・トワイライトEXP』の機関車交換が復活するらしい」
との「函館運輸区のカレチ」氏の発言でありますので、その点だけ確認頂ければと思います。ところで、
「ビケ無し雷鳥」様は「青森」までどのような手段で行かれたのでございましょう。
ひょっとして「日本海」でございますか・・・。


 さて、小生はこの連休は「道立図書館」に籠りまして、指導資料の収集を・・・。
しかし、2年前と同様に「鉄」関係の書物を漁るということになってしまいました。
そんな中で、表題の「西海号」についての「戯言」を記させていただきます。


 1 「松本清張」に係る資料に目を通していたところ、
以前、小生がご紹介いたしました、同氏の名作「張込み」がございました。
「東京」で強盗殺人を犯した容疑者が、九州の「佐賀」に住むかつての恋人に会いに行くのではないかという推測から、
「PCさつま」で警視庁の刑事二人が西下していく・・・という映画のオープニングが話題となる佳作であります。
その映画のエンディングで、「佐賀」から容疑者を護送するために乗車する急行が、
「C59」牽引の「西海」なのであります。
その場面で印象に残りますのは、「佐賀」での案内放送。
「西海号の停車します駅は、鳥栖、博多・・・宇部、小郡、三田尻・・・神戸、三宮、大阪・・・静岡、清水、富士・・・大船、
横浜、品川、終着東京です。」と全ての停車駅をコールしたのです。
そして汽笛一声後、前照灯が光り、ゆっくりと動き出す「西海」の雄姿。
まさしく、その姿は九州からの長旅を象徴的に描いておりました。


 2 小生、記させていただいた通り、推理小説好きであります。
今回、「西海」をテーマとした「推理小説」を2題発見致しました。
一つ目は、「急行西海」という題名の「天城一」氏の作品。
同氏は、「昭和30年代中後半の時刻表」を活用して鉄道ミステリーを書かれていらっしゃいます。
これは、九十九里で発見された女性の遺書が、犯人を指し示す「ダイイングメッセージ」が含まれて・・・という展開です。
その「メッセージ」とは、「サンキュー、ひふみさん」というもの。
捜査陣は苦心した末、この数字が「39レ12:33」という「下り西海」の「武雄」到着時間であることを発見して、
「乙原武雄」という容疑者にたどり着く・・・。という結末であります。
同氏は、「急行さんべ」や「急行月光」などのダイヤを使った
「ダイヤグラム」のアリバイ崩しという短編を創作されており、
トカホセ黄金時代の夜行急行を体感できる作品で興味深い方であります。



 3 二つ目は「西海号事件」という「種村直樹」氏の作品。同氏は・・・、多弁は不要でありますね。
これは、「大津」から「上り西海」に乗り込んだ主人公の隣席の乗客が、「長良川鉄橋」を通過した直後、
「米原」で買い込んだうどんで毒殺されてしまい、連れの男に容疑がかけられて・・・という展開であります。
作品中には、「鉄」である同氏らしい記述(主人公が乗ったPCが逆向に連結されていること・
列車が「門司検査区」で洗浄されていること等)もあり、興味がそそられます。
結論は、進行方向後部の「列車トイレ」の隣の席に「うどん」が置かれていた結果が・・・
というトリックが用意されており、小生は秀作であると考えました。


 「西海」と申せば、前身が「進駐軍専用の特別レ」であったことは、先達の皆様には「釈迦に説法」でありましょう。
また「下段寝台」がロングシートとして利用される、当時としては標準的なツーリスト型であった
「マロネ29」が連結されていたことも、同様のことと推察いたします。

 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 ゴロー
投稿日 2012年 1月10日(火)09時53分5秒
みなさま、おそくなりましたが新年明けましておめでとうございます。
ED76109さん、昭和30、40年代のお話、いつも楽しみにしております。
「張込み」は最初の佐賀につくまでの部分を見たことがあります。
長距離輸送に鉄道が一番輝きを見せていた時代ですね。
混雑していた様子が映しだされていて今では考えられないことです。
もしこの列車が今も定期列車で走っていたら何人くらい乗りますかねぇ。
昔、大阪駅から長野行きの「ちくま」に何回か乗ったことがあります。
夏休みなど多客期になると改札外の北出口の所で夕方から自由席の列に並んだことがあります。
他に「きたぐに」「くろよん」の列があって「きたぐに」は東出口の近くまで列が続いてました。
まだ青森行きの頃です。あれだけあった大阪始発の夜行列車、客車列車もこの3月で定期列車は全滅するんですね。
残りは大阪駅を夜中に通るサンライズと臨時のトワイライトだけ。
トワイライトもこの間の乗った時はかなりくたびれていてこの先JR西日本は何か策を考えているんでしょうか?
今月の終わり、急遽、札幌近辺へ行くことになり往復とも日本海で行くことになりました。
たぶんぼくは今回で最後の日本海になりそうです。
ひょっとしたらお名残り乗車の方で混んでるかなって思いましたが行き帰りとも下段がとれました。
不安なのは天候による運休です。



投稿者 ED76109
投稿日 2012年 1月11日(水)08時05分51秒
タイトル 冬の汽車旅への憧憬
 おはようございます。「ED76109」であります。

 ゴロー様

 今年もよろしく御願い申し上げます。

 >もしこの列車が今も定期列車で走っていたら何人くらい乗りますかねぇ

 さすがの先達の皆様方であっても、「夜行2泊」に堪えられるのは如何ばかりでありましょう。
前述しておりますが、小生の「鉄」親父が伯父たちと3人で、昭和32年の盛夏に「東京・出水」まで利用しております。
とにかく「ハザは暑くて寝られな」かったようであり、出迎えられた「西出水の伯母」からは
「疲れ果てて、どう見ても指名手配の犯人にしか見えない」と笑われたそうであります。
しかし、「長時間列車乗車」がマイブームである小生にしてみれば、ゴロー様が仰るようにもし運転されるのであれば、
当然「ハザ2泊」で「西鹿児島(鹿児島中央という駅名は・・・)」まで行きたいものです。


>夏休みなど多客期になると改札外の北出口の所で夕方から自由席の列に並んだことがあります

 御意。さすがの小生もほとんど経験しておりません(昭和51年の中学ワンゲル部の「赤岳山行」の際に経験)。
しかし、「新宿のアルプス広場」や「上野の盆暮れの大行列」も、今は昔の物語。
「PC」どころか、「中央東線の定期夜行レ」も廃止されて幾星霜・・・。
まさしく、「昭和」は遠くなりにけりであります。


 >札幌近辺へ行くことになり往復とも日本海で行くことになりました

  羨ましいの一言でありますねぇ。
小生はこの時期の「トワイライトEXPや日本海」は遅れで何度か「えらい目」にあっております。
平成9年の「トワイライトEXP」行は、「津軽線の架線故障」と「東能代付近の強風」のために
「4時間40分」の遅れで「大阪」到着。
「大阪」のフォームで眺めた「夕焼け」が強く印象に残っております。

 長々と失礼致しました。
「ゴロー様」の旅が無事成就することを、「北の大地」から祈念致します。
以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 ゴロー
投稿日 2012年 1月11日(水)09時23分26秒
おはようございます。
夜行2泊はすごいですね。
ぼくも急行「桜島」「高千穂」が走っている時に是非座席で乗ってみたかったです。というか寝台はなかったですね。
昼間の長距離鈍行も結構乗りましたが、夜行となると疲れ方がまた一味違うものがありました。

赤岳はぼくも一度登りました。確か野辺山から登り美濃戸口を経て茅野へ抜けました。
あまり岩がごつごつした山は好きではないのですが赤岳は木々が結構茂っていたような気がします。
頂上からの御来光時の富士山がきれいでした。
新宿からの中央線も定期の夜行がなくなってしまったんですね。
当時、その夜行列車で行かれた方たちは今、アルプスへ行く交通手段はどうしてるんでしょうか?

冬の「日本海」「トワイライト」は確かによく遅れます。
北陸線、信越線の雪や最近は湖西線の強風が多いですね。たまに米原回りで走ってきますね。
行きはともかく帰りはすぐ仕事が待っているので大きい遅れはヒヤヒヤものです。
でもなぜかぼくは一番遅れた「日本海」で払い戻しギリギリならずの1時間55分が最高でした。
この時、富山ぐらいまでは1時間も遅れてなかったのに電車特急に抜かれるための臨時停車が頻繁にありました。
隣の寝台の乗客は「なぜこんな小さい駅に止めて特急が特急を抜くんだ」と車掌にくってかかってました。
ぼくは事情がわかるだけに懸命に説明する車掌さんがかわいそうでした。
それにしてもトワイライトが4時間40分も遅れたのはすごいですね。おかげで夕焼けがニ回見れたのですね。

「北の大地」から祈念。ありがとうございました。



 
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