クモイ103様が言及された
夕張駅を、初めて訪れたのは、1987年の夏でした。当時は
市役所脇に、確か「ヨ」改造と記憶する待合室があるだけの、一面一線の簡便構造で、
側線多数を擁した、往年の盛況振り(構内規模に関しては、夕張鉄道と接続していた
鹿ノ谷の方が広かった様に見受けられます)との余りの落差に、拍子抜けしましたが、
後年、終端部が更に切り捨てられたのですね。
自治体人口が約一万となった現在、駅と市役所との近接性は、需要喚起の上で大きな
動機になり得ると感じますが、三代目駅への移行は、どの様な事情に基づくものやら。
貨物や客レの廃止に伴い、終着駅が、引上線や機回し側線を剥がされるなど、簡便な
構造に移行するのは、全国的な傾向ですが、夕張の様に、駅自体が起点側に移設した
例として十和田市、境港、宇野、枕崎が挙げられますね。十和田市の場合、終端部の
旧駅構内は、その後、車両留置に供されていた様ですが、現況や如何に?
逆に第三セクター転換後、旧鉱山専用線を活用して、営業区間を少し延長した、細倉
マイン・パーク駅の事例もありましたが、こちらは、移設後、20年に満たずして廃止。
似た様な構想として、わたらせ渓谷鉄道の間藤〜足尾本山を観光用に復活させる話も
ありましたが、いつの間にか、話は完全に立ち消えている様です。
夕張駅とは少し趣旨が異なりますが、地元の常陸太田駅も、二段構えにて模様替えを
行っています。まず、客レや貨物便の廃止に伴い、駅舎やホームはその侭据え置くも、
引上線の大半と側線を撤去し、一面一線の簡便構造に移行したのが、確か80年代半ば。
昨年、車止めを水戸寄りに移す格好で、線路とホームを一新し、駅前の変則交差点を
解消する再開発と併せて駅舎も新築、現行の陣容が整ったのが、震災復旧後の今春で、
先日、PP態勢にて運転された「ハッスル黄門」に象徴される様に、地元勢としては
渋滞の名所の解消と併せて、感慨深いものがあります。
一方、今夏ようやく震災から復旧した湊線の阿字ヶ浦駅は、やり手社長さんの演出か、
従来の長いホームや使われなくなった引上線、側線はその侭、終端部では藪が刈られ
前方の太平洋が見える様になっており、終着駅の風情を求めるなら、かなりの上位に
ノミネートされるであろうと確信します。
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