おはようございます。昨晩はゆっくりと御休になられましたでしょうか。「ED76109」であります。
旧狩勝線を楽しむ会様
>小学生の高学年になったころ、品川始発の153系の急行がありよく利用しました
「品川」の臨時フォームは、小生にとって「鉄」の想い出がある場所であります。
今日はそんな「戯言」を申し上げます。(以前にも触れた内容でしょうが・・・)
1 「旧狩勝線を楽しむ会」が親しまれたのは「EC東海」であろうと推察いたします。
9:08発の「東海2号」。この「東海」には、日曜日に運転される「ごてんば」が増結されており、
「国府津」から「御殿場」へと分割されておりました。
小生は、7:42発の「113系浜松行(325M)」によくお世話になりました。
このEC鈍行は、「沼津・浜松」は快速運転されて、そこそこ「急行もどき」の雰囲気も十分堪能できる代物。
さらに、「浜松」で「上り桜島・高千穂」に「3分」で接続し、
昭和50年の冬休みには「お別れ乗り鉄」で活用させていただきました。
2 小生が、「品川」の臨時フォームに憧憬を持つきっかけになったのは、
昭和40年代前半に運転されていた「847レ(熱海行)」。
先達の皆様方の話題にもなっておりますが、当時「トカホセ」に残されていた唯一(?)の「PC鈍行」であります。
記憶の彼方にしかありませんが、両親と「熱海温泉行」やら「御殿場線のD52鈍行乗り鉄」やらで利用していたようです。
しかし、何時乗っても「閑古鳥」が鳴いていたようで、最後尾の車両に小生一家のみということもあった記憶が・・・。
しかし、このPC鈍行は多客期には「臨時レ」に車両を召し上げられてしまい、
全国から「PC」を掻き集めて運転していたようです。
事実、小生のスナップには「オハフ60(札イワ)」をバックにした一枚がございます。
3 もうすぐ夏休み(当地では22〜25日が終業式)ですが、昨今は「新幹線」の混雑が帰省ニュースの定番です。
しかし、昭和40年代は「上野」始発の長距離レの一部が、年末年始に「品川」始発に変更されていたことは、
先輩の先達の皆様には「釈迦に説法」でありましょう。
とある年(昭和43年12月29日)の運転状況を巡ってみれば、以下のような状況がございました。
ドキュメント・感動の所在地1「賑わいの上野口」から
おが51号(8415レ・16:57・大館行) 津軽1号(401レ・18:52・青森行)
おが52号(8417レ・19:20・秋田行) おが2号(6401レ・19:30・大館行)
おが53号(8419レ・20:23・大館行) おが3号(403レ・20:46・大館行)
津軽2号(405レ・21:26・青森行) 普通レ(421レ・21:47・青森行)
おが53号(8403レ・22:26・秋田行) 出羽(403D・22:36・酒田行)
ばんだい54号(8207M・23:15・会津若松行) ざおう4号・ばんだい5号(6403M・23:21・山形、会津若松行)
ばんだい6号(2203レ・23:26・会津若松行)
おが55号(9109レ・23:41・秋田行) おが56号(8423レ・0:16・横手行)
この時期は、輸送力確保のために「シ」や「ロネ」等が編成から外されて、「ハザ」に変更されるなど、
サービスは二の次となり、まず「乗客が可能なかぎり座れる」編成に変更されていたのでありました。 |