倶楽部メモ(592)
平成22年 4月17日〜 4月21日



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 4月17日(土)14時11分51秒
タイトル 「スーパー北斗」の先端からの「眺め」は5月上旬までです
 昨日の「歓迎会」のアルコールが少々残り気味の「ED76109」であります。

 マロネロ38様及び竹中@ノーブルジョーカー様

 小生の全くの「専門外分野」であり、大変勉強になっております。
「スロ54」は「利尻・大雪・狩勝・ニセコ」で活躍していたものでありましょうか。
昭和48年の春、小生が「札幌」のフォームで眺めた「PC狩勝」。
「ロザの読書灯」の淡い光に旅情をかき立てられた記憶があります。
屋根にも「ユニットのクーラー」がありましたし・・・。
しかし、市井の庶民の小生には縁遠い存在でありました。
 また、「マロネロ38様」にはご心配いただきありがとうございます。
愚妻の実家は無事だったようでありますが、
隣家の「漁船」が高波で流されて、大騒動だったとの話を義兄から聞いております。

 では、話題を変えて。本日の「北海道新聞朝刊」に、「カブリ付き」の先達の方々には少々衝撃的なニュースが・・・。
 と申しますのは、今年の冬に「函館本線のスーパーカムイ脱線事故」に係り、
道内の「特急の先端部」への立ち入りを禁止する決定がなされたとのことであります。
つまり、「スーパー北斗」や「スーパーおおぞら」の先頭部からの眺望がもう拝めないという「御達し」であります。
安全面での配慮でありましょうが、道内の先達の方々からは「残念至極」の談話が掲載されております。
一昨年、御来道された「雑魚」様の「スーパー北斗」での体験談ではありませんが、
大概先達の方々の攻防戦(?!)で妙な盛り上がりを見せていた「先端部の眺め」。
ローブで閉鎖される5月上旬までのようであります。

 長々と失礼致しました。
以上、「ユーラシア鉄道」様のお写真を拝見するたびに、
「122レの狭窓のスハフ」からの「後部に流れる雪の鉄路の眺め」が忘れられない「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 4月18日(日)11時16分58秒
タイトル カブリ付き
▼ED76 109様:
> 昨日の「歓迎会」のアルコールが少々残り気味

やあ、御同慶(^^)この時期は、教師と父兄が、サシ(食堂車の意に非ず)で飲める
数少ない機会ですからね。かくいう私も、現在、重篤な二日酔い状態です。おえっぷ。

>「スーパー北斗」や「スーパーおおぞら」の先頭部からの眺望がもう拝めない

良い歳こいた大人が童心に帰れる憩いの一時を奪うとは、何と無粋な話かと、思わず
天を仰いでおります。航空便では、米国行が着陸一時間前から行動の制限が強化され、
銀塩式なら可能であろう、着陸直前の風景撮影も効かなくなったと、海外出張が多い
知人は残念がっていますが、それもこれも「転ばぬ先の杖」という大義名分の下では、
止むを得ない事なのでしょう。ちなみに、最後尾は開放してくれるのですかね?

> 一昨年、御来道された「雑魚」様の「スーパー北斗」での体験談

掲出画像は、その時の様子です。札幌→苫小牧の利用でしたので、指定席を取る程の
事でもなく、自由席は何号車かなと、入線した編成を一瞥した途端、事の次第を悟り、
殆ど条件反射で先端部を占拠したのでした(^^)撮影場所は御判りですね?








投稿者 ED76109
投稿日 2010年 4月18日(日)13時37分26秒
タイトル 道央車窓点描
 曇り空の日曜日。いかがお過ごしでありましょうか。「ED76109」でございます。

 雑魚様
 >ちなみに、最後尾は開放してくれるのですかね?

  おそらく、だめでありましょうね(滂沱)。
 小生、いつもの「乗り鉄」で「スーパー北斗」や「スーパーおおぞら」の自由席車の最後尾の窓を
 「カブリ付き」しております。
 今回の話は、平静を装いつつも心穏やかではございません。
 今年もなけなしの小遣いを工面して、夏に「道内フリーきっぷ」で・・・と思っていた矢先なのに。
 しかし、今さら「都市間バス」に「宗旨替え」するつもりもございません。つらいなぁ・・・。

 >撮影場所は御判りですね

  1枚目は「平和」を通過後、築堤から高架橋で「函館本線」をクロスして、
 車窓右に「札幌貨物ターミナル」が広がる辺りでございますね。
 もうすぐ「新札幌」に停車するアナウンスが流れているところであります。
 「道外からのコンテナ貨物」列車は、右奥のレールで出入りしております。
 小生、「札幌貨物ターミナル」発「福岡貨物ターミナル」行の貨物列車に
 「スハフ14」を増結して「制覇(?!)」したい夢があります(まず実現は不可ですね)。

   2枚目は、「南千歳」発車直後でありますね。
 築堤を上っていくと右側の「石勝線」のレールを左に逃がして「千歳線」の下り線に近づく配線となっています。
 「スーパーおおぞら」は左に逃げた後は、早来の原野を貫いて「追分」へと快走していきます。
 車窓の右は「新千歳空港」が一面に広がり、航空機の離発着シーンが眺められるシチュエーションであります。

  3枚目は、あと5分で「苫小牧」といった辺り。「勇払原野」の外れた市街地でありましょうか。
 左端のレールは「日高本線」。もし、「苫小牧」からスイッチバックする路線配置でなかったならば、
 「旧富内線活用の日高山脈越えルート」の一つに数えられておりました。
 さらに先達の皆様方であれば、この鉄路が「日本一の直線」の一部であるとともに、
 最後の「SL牽引の旧客列車」の花道であったことは「釈迦に説法」でございましょうか。

 長々と失礼いたしました。
以上、「歓迎会帰りの終電」が「711系」であってほしいと思う「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 ミキスト
投稿日 2010年 4月19日(月)10時30分4秒
タイトル ワムフ100
貨車の話で恐縮なのですが,北陸本線沿線に住んでいた子供の頃,
貨物列車の最後尾にワムフ100がぶら下がっているのを時々見かけました.
乗務員室は広くてトイレもついていましたが,何故あんなに広い車内が必要だったのでしょうか.
この車両,窓も客車のように大きく,貫通扉も付いていたりと,私の頭の中では客車として認識していた気がします.



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 4月19日(月)16時44分12秒
タイトル 富内線
▼ED76 109様:
> おそらく、だめでありましょうね(滂沱)

そうなると「カシオペア」ラウンジに居座るか、複勝万馬券並みの確率で「スイート」
確保を模索するしかなさそうですね。14系「海峡」を利用した際、最後部デッキから
展望が効いた記憶がありますが「北斗星」や「はまなす」では、どうなのでしょうね。
もっとも、後者は運行される時間帯が時間帯ですから、厳寒期は下手をすると、終始
闇の中となりかねません(^^)

> 1枚目は(中略)車窓右に「札幌貨物ターミナル」が広がる辺りでございますね。

御明察。函館に向かう列車が、函館本線から分岐するという構図は、一般には極めて
判りにくい構図ですね(^^)2000年以降、寝台特急以外の全旅客列車が停車する様に
なりましたが、電化複線区間の棒線駅で、かくも「出世」した例は、全国的に見ても
珍しいと感じます。

> 2枚目は「南千歳」発車直後でありますね。

御明察。この辺りは、直線が連続する標高20m程度の平坦地ですが、実は太平洋側と
日本海側の水系を隔てる分水嶺になっているそうです。確かに札幌と苫小牧の気候は
微妙に異なりますが、凡そ、異なる地域を跨いだという感覚は乏しいですね。強いて
言うなら、上り列車で植苗を通過し、室蘭線との変則並行区間で勇払平野が広がると、
太平洋側に出た、と云う感慨を覚えます。

> 3枚目は(中略)「勇払原野」の外れた市街地でありましょうか。

これまた御明察。この並行区間は 6km以上に及ぶのですね。日高本線は、苫小牧から
13km先でようやく隣接駅となりますが、沿線人口が最も多いと思しき苫小牧郊外での、
かかる状況は、日光線鶴田〜鹿沼、磐越西線郡山〜喜久田以上に、意外性を感じます。
苫小牧の市街が、一部特急も停車する様になった沼ノ端の方向に展開しつつある事を
思えば、並行区間の途中(出来れば室蘭本線との連絡機能を伴う)停留所があっても
良さそうに感じます。

その隣接駅は、周辺の地名から「勇払」を名乗っていますが、これは、苫小牧界隈の
平野や周辺の郡の名称でもあり、一面一線の無人駅ながら、拠点性を感じさせますね。
ちなみに勇払郡は、石勝線の真骨頂とも言える占冠村を含みますが、旧支庁管轄では、
同村は胆振でなく、なぜか上川の総振局に属します。

>「旧富内線活用の日高山脈越えルート」の一つに数えられておりました。

日高町まで延伸された1964年から、国鉄再建法が制定された1980年までは、根室本線
金山への連絡構想があった様ですね。我が学生時代は、日高町駅から日勝峠を越えて
十勝清水に抜けるバスに繋ぐ「乗り鉄」が多かった様に記憶します。なお、富内線は
鵡川以西が日高本線に集約された1943年まで、沼ノ端〜豊城で、独自の経路を擁して
いたのですね。日高本線とは、国鉄への編入時期が異なった為の現象かと思われます。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 4月19日(月)23時31分56秒
タイトル 夢の復活「コキフ50000」
 おばんでございます。「ED76109」であります。

 キミスト様
 >貨物列車の最後尾にワムフ100がぶら下がっている

 初めまして。東京産の「ED76109」でございます。縁あって現在「札幌市内の高校」に勤務しております。
小生も、幼い頃に「五反田」で「山手貨物線」を通過する「貨物列車」を眺めながら、
「EF15、ワム、ワム、トム、チタ・・・ワムフ」などと貨車の記号を楽しんでいたものでありました。
 ですから、小生の「戯言」で「札幌貨物ターミナル」から「福岡貨物ターミナル」への直通列車であれば、
「トワイライトEXP」+「いにしえの『明星』」の旅が味わえるのではと思っているのでございます。
「スハフ14」でなければ、車掌氏のために装備した「TR203型台車」が装備されていたといわれます
「コキフ50000型」を復活させたいところ。
旧客紀行で、幾度となく「車掌室の窓」を全開にして勤務していた「車掌」氏の姿。
「2日半の汽車旅(貨車旅かもしれませんが)」が楽しめるのではないでしょうか・・。

  雑魚様
  >最後部デッキから展望が効いた記憶

  小生の「汽車旅の真骨頂」でございます。
 鈍行紀行でも、幾度となく楽しんだ「風景」であり、少々「戯言」致します。

 1 定番の「山陰鈍行」では、「出雲市発下関行」の「最後尾」が印象に残ります。
  前述しておりますように、「日本海の夕陽」と「中国山地の眺め」が天下一品なのですが、
  併せて「小駅の風景」が小生の心をとらえておりました。
  昭和57年の初秋、「下府」を発車して右カーヴを切りながら、抜けるような青空と海を背景にした
  「本線のローカル駅」の眺めは、フォームの蝉時雨とともに脳裏に今も残っております。

 2 当地の「山線」は何と言っても、「上りの函館行(122レ・42レ)」の「最後尾」の眺め。
  早春の「雪の鉄路」、そして盛夏の「深緑の鉄路」・・・。
  そして、「DD51」のもの悲しげなフォイッスルとともに越えた幾つもの峠越え。
  「塩谷」や「銀山」そして「上目名」。
  山間の四季の魅力に溢れる「寂れた交換駅」から遠ざかる風景は、旅愁をかき立てられた珠玉の眺めでありました。

 3 小生のもう一つの「眺め」は、やはり「常磐線」の「磐城太田→四ツ倉」の眺めでありましょう。
  「太平洋の海原」だけでなく、「阿武隈の山並」や「牧場が広がる広野原」等を
  「ED75」の甲高いフォイッスルを聞きながらの「鈍行紀行」は、手頃な小旅行にピッタリ。
  「上野」発着の旧客レで日帰り往復できるとあって、
  「大野」や「夜ノ森」などの本線の風格が感じられる「構内の長い交換駅」が強く印象に残っております。

 これら以外でも「笹川流れ」や「親不知子不知」、「姨捨のスイッチバック」等々・・・。想ひ出は尽きませぬ。

 長々と失礼致しました。
以上、「鈍行紀行」では「ニ」や「ユ」が最後尾に着かないように、
時刻表と首っ引きだった「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2010年 4月20日(火)06時54分20秒
タイトル RE:ワムフ100
ミキスト様
ワムフ100形はワキ1000形とともに「急行小口貨物列車」に使われました。
車内では荷物車と同様に積荷の仕分け作業が行われましたので、室内灯と貫通路を装備していました。
ワムフの車掌室は作業員の休憩スペースでもあったようです。
投稿者のホームページ



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 4月20日(火)10時50分57秒
タイトル 灼熱地獄
▼ED76 109様:
> やはり「常磐線」の「磐城太田→四ツ倉」の眺めでありましょう。

以前にも触れた記憶がありますが、私が平(当時)以北の常磐線を「消化」したのは、
1970年代の仙台七夕祭見物に際しての事でした。往路は水戸から、旧客による臨時の
昼行急行「十和田」を利用したのですが、時期柄、空調無しの車内は、混雑もあって
異様に蒸し暑く、単線区間では、交換で運転停車してばかり。

茨城県を代表する幹線である常磐線とて、平以遠は単線だったのかと、子供ながらに、
意外に感じつつ、とにかく喉が乾いた、早く仙台に着かないかと、風景そっちのけで
憔悴気味の中、爽やかな風と共に阿武隈川を渡って間も無く、近づいて来た東北線が
何とも頼もしく感じらた次第。帰途、宇都宮まで利用したのが、12系を充当した臨時
昼行急行「八甲田」だった事もあり「東北線>常磐線」を叩き込まれた趣でした。

当時、私の脳内定義では「幹線=電車主体の電化複線」だった事から(これはこれで、
路線電車が該当するなど、条件設定が少々不十分ですね)平以遠の状況から「世の中、
月夜の晩ばかりではない」と、浮世の理を悟った積もりになったのでした(^^)以上、
常磐線の上り列車で岩沼の分岐点を通過すると「あっち(東北線)に乗りたいな」と、
今でも感じる雑魚でした。



投稿者 高速貨A
投稿日 2010年 4月20日(火)23時31分45秒
タイトル 前面展望・最後尾からの眺め
ED76 109様、雑魚様
当掲示板にて、スーパー北斗等の前面展望が見納めになる事を知り、北海道新聞HPにて再確認した次第です。
前面展望見納めは残念ですが、新聞やニュースで今年の冬に発生した「スーパカムイとダンプとの踏切衝突事故」
において大破した先頭車両を見てしまうと、やむを得ないと思います。
最後尾の眺めだけでも残してほしいものです。
 客車列車に限定した最後尾の眺めでは、「カシオペア」や「トワイライト」のスイートは
「つばめ」「はと」の展望車と同様、異次元の世界なので、私にとっては「はまなす」「北斗星」、
今は無き「ゆうづる」といったところです。
また、旧客車編成の場合はドアや最後尾の貫通扉が開きっぱなしの場合が多く、
非常に危険ですがデッキ乗車での眺めも楽しめましたね。
(決して真似をしてはいけません。また、20年以上前の出来事なのでお許しを)
 北海道においてスーパ北斗などの前面展望が見納めとなると、
定期列車では「北斗」や「サロベツ」の先頭車両(キハ183-500番台)が狙い所です。
札幌から函館への出張でQきっぷ(指定席往復割引)を利用しますが、
帰りはあえて「北斗の自由席」(札幌方2両が自由席)にして先頭車両17番A席を確保すれば、
札幌まで前面展望が楽しめます。
 添付写真は「北斗」乗車時に撮影した七飯〜大沼間(藤城線)の前面展望です。
何本かのトンネルを過ぎると大沼・小沼・駒ヶ岳が現れる区間です。




投稿者 雑魚
投稿日 2010年 4月21日(水)08時40分28秒
タイトル 最後尾貫通扉の開放
▼高速貨A様:
> 決して真似をしてはいけません。また、20年以上前の出来事なのでお許しを

私が、通学で水戸駅を利用していた当時も、同様の感覚でしたよ。画像は、三年前に
磐越西線の広田駅で撮ったSL列車ですが、しっかり、開放されていますね(^^)




投稿者 ミキスト
投稿日 2010年 4月21日(水)11時15分29秒
タイトル 解けました ワムフの謎
ノーブルジョーカー様,ED76109様,有難うございます.
急行小口貨物は荷物列車の様なものだったのですね.車内で仕分け作業があったとは知りませんでした.
車内灯も暗そうですし,暖房もなくて,作業はたいへんだった事でしょう.その休憩スペースとは納得です.
しかしあの手の貫通路は走行中に使用できる代物なのでしょうか.
ワムフの広いスペースと対照的なスニ44の狭い常務員室の意図も気になり始めました



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 4月21日(水)13時29分35秒
タイトル 展望三昧
▼高速貨A様:
> 先頭車両17番A席を確保すれば、札幌まで前面展望が楽しめます。

それで思い出しましたが「G周遊券」で渡道した際、廃止間近の「おおとり」全区間
惜別乗車や、ハイデッカーG車の利用をあえて見送り、札幌→函館で「北斗」普通車
最前部指定席を利用した事があります。道内では、既述の様に「アルコン」を充てた
下り臨時「おおぞら」快速区間(帯広→池田/座席指定解除)で、展望室を利用した
事もあります。その他「フラノ」等、リゾート車両は概ね試しましたが、残念ながら
指定された座席は、何れも中間車でした。

JR東日本では「グラシア」を仙台→安比高原の快速運用で「レインボー」を仙台→
上野の急行運用で「シルフィード」を新潟→会津若松の快速運用で「サロン東京」を
新宿→桜木町の快速運用で、それぞれ試しました。

大半が展望サロンの利用でしたが「グラシア」のみ指定席の展望で、昼行優等列車が
廃止されて久しい東北線やドカ雪の花輪線など、車窓風景は特に印象的でした。一方、
折返駅と安比スキー場とを結ぶ連絡バスの案内が不十分で、復路の仙台行に乗り損ね、
割高かつ大混雑の盛岡直通高速バス+新幹線を利用すれば、盛岡市内の道路渋滞から
盛岡駅を目前にして(当時、西口は未整備)新幹線数本を見送るなど、とにかく蹉跌
尽くしの一日となったのは、以前申し上げた通りです(^^)

JR西日本では、和倉温泉に直通する北陸線特急の先駆的存在「ゆぅトピア和倉」の
間合運用(月金曜夜の単独編成回送)を金沢→大阪で利用しました。最終「雷鳥」に
続行するG車専用編成という事で乗客は数名のみ。展望サロンを終始独占できました。
夜間ならではの車窓、特に湖西線から琵琶湖越しに見た対岸の灯火が、印象的でした。

旧宮福鉄道開業の直後には「文殊」の前身「エーデル丹後」も試しています。福知山
以南は「北近畿」が牽引する為、最後部席の利用でしたが、肝心の宮福線は不覚にも
居眠りしてしまいました(滂沱)

JR九州では「オランダ村特急」門司港→博多、後身「シーボルト」長崎→HTBを
試しました。前者は博多以東が「有明」併結ですが、協調運転ゆえ進行方向の展望が
効いた様に記憶します。

また「ハイパー・サルーン」G車展望室は「かもめ」「有明」「にちりん」それぞれ
下り便の全区間で試しました。このうち「かもめ」は、敢えて「あかつき」を博多で
下車しての利用でしたが、早朝ゆえか、肥前鹿島までは、運転室の遮光幕が下ろされ、
車掌さんに泣きついた次第(^^)有明海の眺めは、その先からでしたが、海の眺めに
関しては、鹿児島線八代以南の不知火海の方が、見応えがあった様に思います。

………こうして見ると、私も「身の程を弁えず」そこそこ、G車を利用していますね。
所帯を持つ以前は、エンゲル係数も「それなりに」低かった様です(^^)



 
 
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