倶楽部メモ(475)
平成20年11月30日〜12月 2日



投稿者 ED76109
投稿日 2008年11月30日(日)09時39分14秒
タイトル 「相互乗り入れ」のアイディアはどうでしょう?!
おはようございます。「ED76109」でございます。

太田拓也様
>旧客世代からは目の敵にされた急行型電車
 はじめまして。「ED76109」であります。
小生、あと4年で「五十路」ですが、「急行型」は好きな形式の一つです。
「東海・佐渡(165系)」にしても「もりおか・ばんだい(475系?)」にしても、「汽車旅」の香りが感じられます。
逆に「715系」は如何なものでしょう。いくら「583系」の余剰車両の活用とは言え・・・。
「北陸の旧客」を駆逐した「食パン」に「喝!!」です。

>フラッグシップ的な名物特急が必要
 おっしゃるとおりですね。
昨日就寝前に考えたのですが、「小田急」の二番煎じであっても、「日比谷線・東急東横線」をスルーさせて、
「横浜地区」と「奥鬼怒・南会津」を結ぶ「スペーシア」を運転するぐらいしかアイディアが浮かびません。
別に「シューマイ弁当」を「スペーシア」で食べたいからではありませんが・・・。

 「客車ネタ」ではなく、失礼致しました。
以上、「0系」のラストランのニュースに、再度「九州新幹線全通」の折は、
「東京・西鹿児島(鹿児島中央)」間に「各駅停車のこだま号」設定を強く訴える「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年11月30日(日)17時17分54秒
タイトル 浅草駅
▼ED76 109様:
> 小生も「地名」や「漢字」を憶えるのに「時刻表」を活用しておりました(笑)

釧路の「釧」留辺蘂の「蘂」上諏訪の「諏」岐阜の「岐」嵯峨嵐山の「嵯・峨」等々、
時刻表や地図を眺めていればこそ、憶える漢字ですよね。

> ○○高校には親父みたいな鉄ちゃんがいるから、時刻表を読んで勉強したほうが

交通地理学と産業考古学が御専門で、RP誌編集委員を歴任され、鉄道の著書も多い、
茨城大の中川浩一名誉教授は、短期間ながら我が母校で教鞭を採った事がある様です。
既述の様に校地が「鉄の聖地」で、茨城交通水浜線関連の著書にも、母校勤務時代の
撮影と思しき写真が用いられ、もし、母校が私立だったら「鉄分たっぷり」な独自の
入試問題もあり得ただろうか………などと、妄想に耽るのでした(^^)

なお、中川さんは今年の夏、他界されたとの事。謹んで御冥福を御祈り申し上げます。

> 小生も「新幹線」は「0系」という世代であります。

昼の報道で御別れ運転の様子を拝見しました。博多駅でしょうか、結構な人出でした。
子供の頃から「♪ビュワーン、ビュワーン、走る〜」と慣れ親しんだ定番型式ですが、
あの歌は油断すると「♪時速は 91キロだい!!」と某アニメ番組に化けるのです(^^)

>「尾瀬沼ハイク号」や「奥会津スキー号」などの季節夜行を復活させるとか、

以前、尾瀬観光関連の臨時列車が、東北から「グラシア」で運転された事があります。
当初は会津田島発着だったものが、後年、確か大宮経由の沼田発着に変更されており、
尾瀬を巡る観光経路も様変わりしたか、と感じたものでした。

>「松屋浅草店」から「隅田川の急カーブに懸かる狭いホーム」が連想されてならない

あの急曲線は、1931年、初代浅草駅である業平橋から現在の浅草駅まで、一駅区間を
付け足した結果ですね。なお、1902年に「吾妻橋」の名称で開業した現・業平橋駅は、
1910〜31年「浅草」を名乗っていますが、これに先立つ1904〜10年、東武線の起点は、
亀戸線から総武鉄道に乗り入れた先の両国駅で、その間の業平橋〜曳舟は、営業休止
状態(貨物営業のみ1907年に再開)だったそうです(驚)




投稿者 峠の釜焚き
投稿日 2008年11月30日(日)17時19分32秒
タイトル 急行能登号の座席車について
皆様はじめまして
峠の釜焚きと申します。

この度は、質問が御座いまして投稿させて戴きました。
その質問なのですが、1970年頃でしたでしょうか、
私が初めて乗った寝台列車と言うのが能登号(オハネフ12 2075でした)なのですが、
その能登号を模型で再現したいと思いまして、色々と調べているのです。
しかし、スハフ42 オハ47がアルミサッシの車両であったかが解らないのです。

ご存知の方がいらっしゃいましたらご教示お願い申し上げます。



投稿者 クモイ103
投稿日 2008年11月30日(日)19時21分49秒
タイトル Re: 急行能登号の座席車について
峠の釜焚き様、はじめまして。

 スハフ42やオハ47など(いわゆる「スハ43系」普通車)のアルミサッシ化改造は、時代や検修担当工場の違いなど、
その時々の要因で変わる車両ごとの「個体差」に属します。
従って、具体的な車番と、個々の車両に関する具体的な資料(写真・目撃情報・履歴簿など)が無い限り、
一概に「○○号のスハフはアルミサッシ化されていた」というような特定は困難です。

 なお、時期と列車が特定できれば、あるいは「アルミサッシのものが比較的多かった(少なかった)」
という程度は、どなたかご存知の方がおられるかもしれません。
 ただ、1970年頃の「能登」と言われますが、上野−金沢間(上越線経由)急行「北陸2-2号」が
「能登」と改称されたのが、新幹線博多開業の1975年3月10日改正でしたから、これ以降ではありませんか?
 ご質問にあるオハネフ12 2075は、確かにこの頃金サワ所属で「能登」に使用されていたようですね
(参考:リンク先サイト「70年代後半の客車編成」)。



投稿者 峠の釜焚き
投稿日 2008年11月30日(日)19時52分33秒
タイトル Re: Re:急行能登号の座席車について
クモイ103様

はじめまして。

なるほどそうで御座いましたか。
乗車したのは幼少の頃でしたので、記憶が殆どありません…

オハネフ12 2075であったと言うのは、一緒に乗った父が書いていたメモにありましたので解ったのです。

やはり、サッシの車と原型の車が混在していたのでしょうね…

ありがとうございました



投稿者 赤まんと
投稿日 2008年11月30日(日)21時22分27秒
タイトル いいえ!間違ってはいませんよォ。
クモイ103様。
私めの投稿に呼応していただき、嬉しく思います。
さて、2002年5月3日の編成ですが、オロハネ24 501で間違いありません。
4月から5月にかけて、ほぼ差し替えなくこの編成を用いて、「夢空間」はなかなかの活躍だったのです。
オロネ24 501は検査にでも入っていたのか、珍しく登板せず、オロネ25 504です。
オロネ24 501は今年8月に約3年ぶりに全検を受け、まだ使用されそうですが、
考えてみると、ここ最近あまり編成に入りません・・・。
今日はわざわざ5分ほど時間調整して、蓮田駅の外から「北斗星」を押さえようと張っていたのですが、
にっくき快速「ラビット」に見事にカブられ、3824本目の記録は失敗に終わりました。
嗚呼・・・。きょうはカシオペア機79号が先頭でした。
あと14本で年間400本ですが、果たして達成なるか・・・
実家にいた頃は、一週間以内に簡単に14本調査できたのですが・・・。



投稿者 クモイ103
投稿日 2008年11月30日(日)22時46分34秒
タイトル Re: いいえ!間違ってはいませんよォ。
赤まんと様
 オロハネの件、ご教示ありがとうございます。
 Nゲージの某T社製車両セットのせいで(と責任転嫁…笑)、
オロハネ24+オロハネ25という図式が頭の中に固定されていまして、勝手に誤記と思い込んでました。
 関係ない話ですが、夢空間車両と組むオロネ・オロハネを中古単品で買い揃えたため、
オハ25ロビーカーがまだありません…



投稿者 ED76109
投稿日 2008年12月 1日(月)21時59分31秒
タイトル 思いつくままに・・・
 またまた、失礼致します。「ED76109」であります。

 雑魚様
 >「♪時速は 91キロだい!!」と某アニメ番組に化けるのです(^^)
  「パーマン」ですね(笑)。小生、あまり「アニメ」関係は得意ではないのですが、
作者の藤子・F不二雄氏(これでよかったですか?)の代表作「ドラえもん」に確か「Nゲージ」ネタがありました。
自室に大規模な「Nゲージレイアウト」を作って自慢する「スネ夫」に対して、
いつもの如く「ドラえもん」に泣きつく「のび太」君。
空間を作り出す「道具」を取り出して自由に「レイアウト」を広げていく「のび太」君だったのですが・・。
最後の「オチ」がどうしても出てきません。
先達のどなたか、結末をご存じであれば・・。(このサイトの本筋ではないですね、恐縮です!)

  >現・業平橋駅は、1910〜31年「浅草」を名乗っていますが
 あまり詳細なことは存じ上げていませんでしたが、
小学生の頃、「鉄」親父方の叔父が「五反野・梅島」に在していたので、
自宅に戻る折に「浅草」へ向かう高架のカーヴから地上の行止り式のホームが見えていたのを記憶しています。
あの「ホーム」が「旧浅草」だったのでしょうか・・・。
そういえば、「業平橋」の駅名になっている「在原業平」は、「伊勢物語」で
「名にし負はば いざこととはむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」という名歌を詠んでおります。
この「都鳥」とは「ゆりかもめ」の別称です。
旧聞ですが、本校の生徒が修学旅行の土産話に「先生、フジテレビに行くのに、運転手のいない電車に乗ったさ」と、
自慢気に話しているのを聞いて、小生「レインボーブリッジ」を渡る「ゆりかもめ」を想い出しました。
もう東京から離れて、来年で四半世紀になります・・・。

 ますます「旧客ネタ」でなくなってしまい、失礼しました。
 以上、修学旅行の生徒が使った「スルッとKANSAN」を眺めながら、
阪急電車のデザインの秀逸さにただ感嘆している「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年12月 2日(火)11時24分22秒
タイトル 鉄撮と安全確保
▼ED76 109様:
> 最後の「オチ」がどうしても出てきません。

その様なエピソードがあったのですか。何しろのび太君の事ですから、調子に乗って、
レイアウトが広がり過ぎて、収拾がつかなくなる様なオチではないか、と想像します。

> あの「ホーム」が「旧浅草」だったのでしょうか …。

地上部分にあった機関区や貨物駅が、地下鉄半蔵門線との直通開始以前、折返し専用
旅客ホームに供された事がありますが、その関連の施設ではないかと存じます。多分、
初代浅草駅も、その一角に位置したのでしょうね。

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昨日「はやぶさ」でニュース検索していた処、先月末、神奈川県茅ヶ崎市の東海道線
踏切内で撮影していたと思しき男性が、列車に接触して死亡、との記事がありました。
どうやら「富士・はやぶさ」狙いの様ですね。市街地にあって、開けた構図の確保が
難しい事を考えれば、その心情は判らなくも無いのですが(望遠レンズ愛用者ゆえに
主張できる「勝者の理論」かも知れませんが)安全圏から如何にして然るべき構図を
確保するか、あれこれ工夫するのも「鉄撮」の真骨頂かと存じます。

そう言えば、bell様御用達と思しき東海道線山崎付近の線路際でも、運転士に無用の
心理的負担を与えぬ様にと、並行道路との境界が、フェンスで補強されたそうですね。



投稿者 尼港線
投稿日 2008年12月 2日(火)17時30分5秒
タイトル JR東日本がEF510を新製!
皆様。たいへんご無沙汰しておりました。
尼港線でございます。

今日、仕事上の必要があってJR東日本のサイトを見たら、タイトルのような情報が出ていて驚いた次第。

↓該当する、JR東日本のプレスリリース(PDFファイル)です
http://www.jreast.co.jp/press/2008/20081202.pdf

このリリースによると、「カシオペア」や「北斗星」に使用されているEF81を、
JR東日本がEF510を新製して置き換えるとのこと。
これによって間接的にではありますが、客車列車の先行きに一筋の光明が差したのではないでしょうか?
定例の社長会見ですから、これ以上、確かな情報もないです(笑)

先般、出張で常磐線沿線を巡りました(この掲示板で皆様がご紹介されていた“見どころ”を、
全てスルーしてしまったのが残念!)が、田端のEF81が多数、貨物列車を牽引しているのを見ました。
まさか、このアルバイト運用「だけ」を置き換えるために、EF510を…
と勘ぐってしまいそうな、昨今の客車列車、夜行列車状勢ではありますが。

「カシオペア色」のEF510がE26系を牽引する初夢が見られそうです(笑)



投稿者 赤まんと
投稿日 2008年12月 2日(火)21時18分48秒
タイトル 田端にもメイワクなヤカラがいました。
みなさまこんばんは。
雑魚様の投稿で、撮影中の男性がハネられ死亡、という内容がありましたが、
数日前、夜間、実家近くの田端近辺を走行中に、非常に危険な撮影者がいました。
車も人も少ないため、安心して機関車を撮っていた様子。
なんと、道路の真ん中に立っての、大胆な撮影です。
さすがに普通ならば、車のライトが近づいてきたら、歩道なり安全な場所に戻るでしょうが、全く動じず。
これには呆れるばかり。
よほどのことがない限り、私はクラクションを鳴らさないのですが、こちらが停止してもどかないため、仕方なく。

こういうのは、いったい何なのでしょうか。
ただただ、徒労感のみが残ります。

JR東日本がEF510を新製し、夜行に充てるというのは、たいへんうれしいニュースですね。
仕様や番台区分等どうなるか、ワクワクします。
肝心の客車にも今後、少し期待がもてます。

そうそう、今日の「北斗星」には久々にオロネ24 501が入り、
さらにオハネフ25 13とスハネ25 503が全検あがりのピカピカ。
オハネ25 563が全検と思われる戦線離脱。
代わりに2号車がオハネフ24 501と、なかなか見所ある編成でした。



投稿者 クモイ103
投稿日 2008年12月 2日(火)21時43分40秒
タイトル 業平橋のこと(非客車ネタすみません)
 ED76109様の言われる業平橋の「地上の行止り式のホーム」は、その昔、
所謂「なりひらのネルソン」などが出入りした貨物駅のものではないでしょうか。(私は蒸機時代は知りませんが…)

 父の実家が北千住にあり、加えて幼い頃には松原団地に母方の伯母が住んでいたため、伊勢崎線はよく利用しました。
当時最新型の8000系に加え、7300系などの旧型電車や日比谷線から来る営団3000系マッコウクジラ、
また時折轟然と通過するDRC特急「けごん」や「きぬ」などの優等列車、
そしてたまに見かけるED型電機牽引の貨物列車と、実に飽きの来ない線区でした。
 当時は北千住で東武−国鉄の貨車受け渡しが行われていた他、北千住−牛田間に中千住貨物駅があって、
貨物ヤードが京成線の高架をアンダークロスして隅田川の河畔まで延びていたのですが、
そのうち両者とも廃止され、都心側の貨物拠点は業平橋のみになりました。
 後年、北千住−竹の塚間が関東私鉄で初の複々線となった後も、業平橋発着の貨物列車は長く存続し、
10000系以降のステンレス車体の新形電車に混じって複々線区間を走る姿が「東武名物」だった時期もありました。

 しかし、新越谷駅付近の高架化に伴い、JR武蔵野線をオーバークロスするための勾配を登れないとの理由で
(まあ単なる一つのきっかけでしょうけど)、業平橋に出入りする貨物列車は廃止されました。
その後、貨物駅の跡地に、雑魚様の言われる「折返し専用旅客ホーム」が設けられましたが、
これは貨物駅関連の旧設備を完全に撤去した後に新設されたものです。
それも半蔵門線の曳舟乗り入れ開始に伴い廃止、撤去され、きわめて短命に終わりました。

 戦後も遅くまで、都心において輸入蒸機の活躍が見られた「業平橋」の貨物駅ですが、
その跡地では、いま「東京スカイツリー」(第2東京タワー)の建設が始まっています。



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2008年12月 2日(火)21時56分23秒
タイトル Re:JR東日本がEF510を新製!
尼港線様
JR東日本によるEF510新製のニュースありがとうございます。
意外とJR東日本のEF81が多く存在し(32両)貨物輸送も担っているようですが、当然本来の運用は
「北斗星」「カシオペア」の牽引であり、EF510の新製両数(15両)からみても本来の寝台特急運用
の為の新製でしょうから、「北斗星」「カシオペア」のスジはしばらくは安泰という事でしょうね。
西に向かう寝台特急が風前の灯となりかけている現在、北に向かう寝台特急だけでも明るいニュース
が飛び込んできて嬉しい限りです。
今新製機関車を投入ということは、「北斗星」用の客車の限界のほうがはるかに早いでしょうから
E26系の増備、「北斗星」用の新車(B個室中心のE26系のエコノミーバージョン)の登場も
期待してしまいます。



投稿者 bell
投稿日 2008年12月 2日(火)22時11分30秒
タイトル 話題の機関車(山崎にて)
雑魚様、こんばんは。
写真撮影中の方が貨物列車に引かれて亡くなられた記事は私も拝見しました。
他人事ではありませんので、心していきたいと思っております。
さて、山崎駅近隣ですが、ご指摘の通り今年の夏ごろに背の高いフェンスが設置されました。
客車列車とは関係のない画像となりますが、本日話題となっております機関車とともに添付させていただきます。




投稿者 bell
投稿日 2008年12月 2日(火)22時26分5秒
タイトル 寝台特急 日本海
続けての投稿となりまして申し訳ありません。
赤まんと様、こんばんは。
日本海にも青色が艶やかなオハネフ25(205だったと思います)が組み込まれております。
今度の週末は増結フル編成となるようですので楽しみにしております。
画像は11月30日の大阪駅です。




 
 
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