昭和8年(昭和9年6月部分開業)の大阪駅高架工事当時の
面影がどの程度ホームに残っているかですが、
強く残っているのは、大きなリベットだらけの重厚なホーム上屋の柱
西と東の端の詰所,西のテルハ(ホーム間荷物搬送ロープウエイ)跡
西の道路上橋梁部分の重厚さです。
逆に当時の雰囲気を壊しているのは、
客車ホームから電車ホームへのかさ上げ
キヨスク・エスカレータ・電行表示等は勿論ですが
端から端まで増設されている蛍光灯が大きい事が分かります
蛍光灯が無ければ、小物変更で当時の雰囲気がよみがえります
後は、煤煙から顔を洗う洗面台が撤去されている事ですね
その点、数年前まで米原駅は戦前の雰囲気がありました。
改装工事のおかげで一部ホームが削りとられて、蛍光灯撤去して
あるのが面白いので、通りかかった人は気にしてみてください。
ゴサン(C53)が3シリンダのブラストを響かせながら10両以上の客車
を引き、シゴイチ(C51)の列車が続き、8800やC12の福知山線木造客車
キハ41000・42000の西成線列車。客車入換えに忙しい6700
や1850etc その当時のほとんどの車両が現存していない事がわかります
その意味ではダブルルーフのスエ302。ニス塗木の椅子オハフ3333。
3軸ボギーマイテ492。が非常に貴重な鉄道文化遺産であること。
編成的に6両ほしい事から現存する旧客を1両も解体して欲しくない事
を強く思います。少なくとも朽ち果てたので1両づつ解体という
鉄道文化財的にまったく理解の無い動きだけはさけていただきたいと強く思います
その時代を知らない人が増えるとあまり共感がえられないかなぁ(涙) |