倶楽部メモ(140)
平成14年 5月28日〜 5月31日


投稿者 通りすがり
投稿日 5月28日(火)00時33分19秒
タイトル RE4:客レ乗車記
本文

おっちゃんさま
あれは協三工業製作の本物の蒸気機関車です。
それから「米臨海」の軌道は単なるシーナリーです。

車掌@仙コリさま
おっしゃられる通りです。
シリンダー内で燃焼しているからこその「内燃」です。
外燃機関、確かにあまり耳にすることはありませんが、手持ちの辞書には出ています。


投稿者 D52 468
投稿日 5月28日(火)02時03分40秒
タイトル 少し前の話
本文 皆様今月号のRMはもう手に入れましたか?私はまだですが付録のCDは聞きました。
もう素晴らしいの一言です。あれで定価の300増しは安すぎます。
東京では発売直後から奪い合いになったらしいので欲しいと考える人は早めの行動を
おすすめします。

投稿者 おっちゃん
投稿日 5月28日(火)10時35分06秒
タイトル 通りすがり様
本文 そうでしたか。内燃対応のハイブリッド型ですか? 其れとも純粋に外燃仕様ですか?


投稿者 jnt153Fun
投稿日 5月28日(火)19時17分03秒
タイトル 【質問】急行「安芸」の配置区
本文 こちらには初めて投稿します。
1960〜80年代の東海道本線を中心にモジュール制作や車両配備しているNゲージャーです。
先月の鉄ピク43系特集以来,旧客整備にはまっています。
現在先月号に掲載されていた大垣行夜行421レ整備進行中ですが,
次の整備予定は,10系急行「出雲」「安芸」の2編成。
「出雲」の配置地区は「東シナ→南シナ」と判明しましたが,わらないのが「安芸」。
糸崎付属編成は「広ヒロ」と判明しましたが,基本編成も「広ヒロ」なのか?
それとも20系置き換え後と同様「広セキ」なのか?
資料をお持ちの方ご見識のある方,是非お教えください。
あわせて特定日の「安芸」編成の資料もあれば幸いです。

投稿者 103列車機関士
投稿日 5月28日(火)19時36分27秒
タイトル わかりました
本文 クモイ103様、リブについては分かりました!
ありがとうございました。
伊藤様、やはり、スロ52の電池箱小さいみたいですね、
北海道型だから電池箱は大きい、と、言うのは
間違いだと言う事が分かりました。
マシ35もそのままのようですしね、

投稿者 クモイ103
投稿日 5月28日(火)21時19分54秒
タイトル Re:急行「安芸」の配置区
本文  jnt153Funさん、こんにちは。
 急行「安芸」の基本編成は、ずっと広島でした。
昭和33年10月改正以前からそうだったことが、各種資料からわかります。
但し食堂車は、初めて連結された33−10改正から36−10改正までの3年間は、
附属編成扱いで品川持ちでした。
 糸崎編成は、広島ではなく糸崎(岡イト)の受け持ちです。
運用番号が各年代を通じて「岡附1」で変わっていないこと、
また糸崎に「安芸」用と思われる寝台車の配置があったことなどからわかります。
> 糸崎付属編成は「広ヒロ」と判明しました
とのことですが、どのような資料から判断されたのでしょうか?
もし実際の編成記録からであれば、客車列車によくあるイレギュラーだったのではないか
と思いますが・・・
 なお、広島の略号は、昭和30年代半ば(?)から昭和40年代半ば(?)まで「中ヒロ」でした。
「中部支社」の「中」かな?正確な変更時期はわかりません。
詳しい方フォローをお願いしますm(_ _)m。
 特定日の編成記録は、手持ちの鉄道ファン194号(1977年6月号 特集:食堂車)
に載っていましたのでご紹介します。
◆1966年10月8日 下り
EF58 102+マニ32 121+オロネ10 6+オロネ10 24+オハネ17 5+オハ46 601+マシ38 2
+オハネ17 14+ナハネフ10 87+ナハネ11 32+オハネ17 184+ナハネフ10 92
+オハネ 17 17+オハネ17 182+ナハネフ10 29
 後部3両は岡イトで糸崎行き、先頭のマニ32は東シナ、他は中ヒロです。
この時期は2等寝台車(ハネ)の冷房化が始まる直前で、まだ全て非冷房です。
 なお、1両だけ座席車のオハ46が入っていますが、鉄道ピクトリアル355号(1978年12月号)
「国鉄急行列車愛称変遷史[11]」によると、「(昭和)41年9月頃,25・26レ「安芸」の4号車ハネは
指定ハザに変更になり,42年10月改正まで続いた.(P.80後ろから5〜4行目)」とありますので、
変則的ながら、いちおうイレギュラーではなく所定編成だったようです。
◆1969年3月5日 下り
EF58 68+オハネフ12 88+オロネ10 8+オロネ10 24+スハネ16 121+オシ17 5
+スハネ16 55+スハネ16 104+オハネ12 35+オハネ12 34+オハネフ12 89
+スハネ16 160+オハネフ12 48+オハネフ12 14
 後部3両は岡イトで糸崎行き、他は中ヒロです。
最後から2両目のオハネフは、ヨンサントオ改正時の資料によると、スハネ16が所定です。


投稿者 jnr153Fun
投稿日 5月28日(火)22時13分07秒
タイトル あっりがとうございました。
本文 クモイ103さん,こんにちは
早速のRESありがとうございました。
特にヨンサントウ後の特定車番入り編成がサイコー!在籍車両の編成もまさにこちらです。
整備の際の車番設定に是非使わせて頂きます。
糸崎編成「広ヒロ」の資料ですが,普段巡回しているNiftyの方で同じ質問を書き込んだのですが,
こちらはその回答して頂いたものです。
「中ヒロ」の存在は初めて知りました。
確かヨンサントウ前後で「東シナ」→「南シナ」のように改定されたと思いますので,
お教え頂いた69年3月5日編成は「広ヒロ」表記で良いのかなあと思います。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 5月28日(火)23時38分25秒
タイトル 「中ヒロ」→「広ヒロ」
本文

クモイ103様、jnr153Fun様
「中ヒロ」から「広ヒロ」への変更ですが、正確な変更時期はわからないのですが
昭和45年度(1970年)のようです。
よって、1969年3月5日時点では、まだ「中ヒロ」が正しいと思われます。
ちなみに「中」は「中国支社」、「広」は「広島鉄道管理局」の略であるはずです。

この他にも略号の変更はかなりの例がありますが、正確な変更時期がわかりません。
どなたか詳しい事情をお知りの方はいらっしゃらないでしょうか?


投稿者 通りすがり
投稿日 5月29日(水)01時06分54秒
タイトル RE5:客レ乗車記
本文 おっちゃん様
純然たる重油専燃の蒸気機関車です。
この「重油専燃」というところがいろいろな誤解?をうんだものと思われます。


投稿者 jnr153Fun
投稿日 5月29日(水)15時54分17秒
タイトル 区名変更時期について
本文 クモイ103様,車掌@仙コリ様,こんにちは
 区名変更時期ですが,手元の資料(鉄ファン20系特集)では,
「東シナ」(〜69年2月28日)→「南シナ」(69年3月1日〜)となっています。
ただ,この区名変更時期が,果たして全国一斉なのかどうかは,私もわかりません。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 5月29日(水)19時08分42秒
タイトル RE:区名変更時期について
本文 jnr153Fun様、情報ありがとうございます。
この「東シナ」→「南シナ」の変更は1969年3月1日に、それまでの東京鉄道管理局が
東京北鉄道管理局、東京南鉄道管理局、東京西鉄道管理局に3分割されたことに伴う変更で、
それぞれ「東オク」 → 「北オク」、「東シナ」→「南シナ」、「東イイ」→「西イイ」
といったように改称されました。
よって、この日に全国一斉に変更があったというわけではありません。
このように鉄道管理局の改称に伴う区名変更は、はっきりした変更時期がわかるのですが、
問題なのが、「中ヒロ」→「広ヒロ」のような略号の支社から管理局への変更です。
配置そのものや正式名称の変更は伴わないので、変更時期の特定は変更そのものについて
記載されている資料を探し出さなければわからないと思われます。
現在この略号の変更について表にまとめています(基本的に年度単位でしかわかりません
が・・・)出来上がりましたら公開いたしますので、もうしばらくお待ちください。
また、引き続き変更時期の情報の提供をお待ちしていますので、よろしくお願い致します。


投稿者 クモイ103
投稿日 5月29日(水)22時56分40秒
タイトル 所属略号変更の資料(長文失礼)
本文

 おなじみ資料屋(謎)のクモイ103です。
所属の略号について、本棚を探ったら、いろいろ出てきました。
# 広島は「中国支社」でしたね。「中部支社」は名古屋地区でした。失礼しました。

◆鉄道公報 号外(昭和34(1959)年6月23日(火曜日))によると、「総裁達第318号」で
「車両の塗色及び標記方式規程」が定められ、その中の「別表第3」に、配属箇所略号として、
「広島鉄道管理局 広」という記載があります。
 また、上記規程の制定に伴い、同じ公報の末尾に、工作局からの通報として
「・・・その主な改正点は次の通りである。」という、たいへん親切な解説があって、その中に、
2 客車
 (1)車体外部の塗色は、ぶどう色1号をぶどう色2号に改めた。
 (2)配属箇所名略号で、青函船舶鉄道管理局の「青」は「函」に、客車の常備駅名略号で
青森の「アホ」は「アオ」、直江津の「ナホ」は「ナオ」、飯田町の「イヒ」は「イイ」、
塩尻の「ホシ」は「シオ」に、暖房車の配置個所略号で飯田町機関区の「イヒ」は「イイ」に改めた。
 配属箇所名で建設局及びその略号「建設」を追加し、
広島鉄道管理局の「廣」は「広」に字体を改めた。・・・などの記載があります。
あと、窓下のローマ数字による等級標記を廃止することも明記されているなど、
多岐にわたる分量の多い資料で、とても全部は書ききれましぇん(*_*)。
どうしても見たい方は、交通博物館の図書室へどうぞ(爆)。

◆一方、「国鉄客車配置表(昭和37年10月1日現在)」
(発行 鉄道友の会客貨車気動車グループ 昭和38年6月)では、広島から下関までの一帯は
「中国支社」として「中」の略号が使われています。
短期間に「廣」→「広」→「中」と変化したことになりますが、「中」への変更時期はわかりません。

◆時代は遡り、管理局名ではありませんが、
RP誌71号(1957年6月号)車両の動き(昭和32年4月分)より
○客車常備駅名略号の変更
 南稚内    ミナ → ワカ
 追分     ヲイ → オイ
 小樽     ヲタ → オタ
 大湊     ヲミ → オミ
 大館     ヲテ → オテ
 秋田     アタ → アキ
 新庄     シヨ → シン
 大宮     ヲヲ → オオ
 尾久     ヲク → オク
 新鶴見操車場 ツルソ→ ツソ
 名古屋    ナゴ → ナコ
 南福井    ミフ → フイ
 梅田     ウメダ→ ウタ
 神戸港    コヘコ→ ココ
 宮原操車場  ミハソ→ ミハ
 竜華操車場  リユソ→ リウ
 紀伊田辺   タナヘ→ タヘ
 岡山     ヲカ → オカ
 東唐津    ヒカラ→ カラ
 吉塚     ヨカ → ヨシ
 早岐     ハヤ → ハイ
 竹下     タタ → タケ
 直方     ナヲ → ノウ
 東小倉    ヒコラ→ ヒコ
 大分     ヲウ → オイ
 川内     セチ → セイ

ただし、同誌68号(1957年3月号)「読者短信」欄に、
「東鉄尾久客車区の略号が1月下旬頃から東ヲクから東オクに書き換えられている」
また、同誌69号(1957年4月号)「読者短信」欄では、
「大宮客貨車区の客車が2月4日から一斉に区略号をヲヲからオオに書きかえられた」
との投稿がありますので、ある期間の幅をもって変更が行われたようです。


投稿者 おっちゃん
投稿日 5月30日(木)23時02分57秒
タイトル あさかぜ
本文 出張で「あさかぜ」を利用した知人から、設備があちこち壊れた・・・・・と云うより
枠とか外れてしまう例が頻発したそうです。ガタ来てるんですかね・・・・・・・

投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 5月31日(金)00時12分55秒
タイトル RE:所属略号変更の資料
本文 クモイ103様、いつも詳細な資料ありがとうございます。
とても勉強になると共に、今まとめている資料にとても参考になります。
広島周辺地区は、ほんとうに何度も変更されているようですね。
ほとんど変更されていない場所も多いのに、ここは十数年の間に
「廣」→「広」→「中」→「広」と変更になっていたようですね。
特に、いったん「中」になって「広」に戻っているのがすごい?ですね。
ちなみに「広」→「中」は1961年度、「中」→「広」は1970年度
のようです。
その他は、まとめ次第公開させていただく予定です。

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