倶楽部メモ(31)
平成12年 1月10日〜 1月19日


投稿者 安田 真紀  
投稿日 01月10日(月)19時19分55秒
タイトル 意外な発見、そして 
本文 天気の良い日に何気なく鉄道ジャーナル「懐かしの国鉄列車PartT」を眺めていたら…。
長崎→門司港に運転されていた「ながさき」のオハネ12 29が横川の歴史むらに
保存されていたことに気づきました。まぁみんな知っていると思いますがね。
あと221レさん、「ブルートレイン中里」のことですが、
去年スキー(毎年湯沢に行っている)に行ったときに健在していたことを確認しました。
続いて常磐線佐貫駅の喫茶店のことですが、正当はオハフ46 2016です。


投稿者 大和路環状線  
投稿日 01月10日(月)22時45分01秒
タイトル 考え過ぎかな・・・(^^;; 
本文

こんばんわ。

●牟田口信宏さん

はじめまして。山陰のオハフ33に懐かしいナンバーがあったので感激しました。
特に、オハフ33 389(米ヨナ)・オハフ33 2625(福フチ)は、オハニ36を除いた
国鉄ニス塗り客車の最後の2両ですね。
私も、旧客最後の1年はこの2両を乗り倒しました。(^^;
(薄識ゆえ、質問の答えになっていなくて済みません。)

●KENさん

行き帰りとも寝台特急の旅、優雅でいいですね。(^^)
「エルム」も「北斗星」も乗ったことはありませんが、せっかく長時間缶詰めになる列車ですから、
いつか私が乗る時も、後に残るような出会いが作れるといいなと思います。
寝台列車はそういう出会いが生まれやすいので、旅の演出には欠かせませんね。

●寝台特急さん
>「型」と「形」

「JRが定める正式な表記」というのがあるのかも知れませんが、
実際、私は「14系15型」という表記をほとんど見たことがありません。

「型」説の言い分を推測すると・・・
「14系15○」の「15○」が、個々の形式番号「(例) オハネ<15形>」と別個の概念
であるというのは明白です。
それゆえに、「型」という別の表記を用いて形式番号の「形」と区別しようとしているのでしょうか?
(つまり、「系」→「型」→「形」という階層関係の設定。)

>「台」と「代」

私は逆に、「台」の方が一般的のような印象を持っているのですが・・・。(^^;;
(確かに「代」もそこそこ見ます。
少なくとも↑の「型」&「形」に比べて「ゆれ」が大きいのは事実だと思います。)

具体的に考えますと、「代」の方は「20代」「1990年代」のように、
一般的に<年齢>や<時代(世代)>を表す場合に限って使われるような・・・。
一方、「台」は「1000円台の品物」とか「9時台の列車」のように意外と用法に汎用性があります。
これをチェンジして、「20台(←年齢として)」「1990年台」がダメなのは明確ですね。
後者では、「1000円代」という表現は個人差があるかもしれませんが、
「9時代」という言い方は確実に苦しいでしょう。

従って、理屈としては「台」の方がより適切と言えそうです。
しかし、「2000番○」という言い方を「車両の<世代>を表すもの」という風に捉えることも可能です。
そう考えると、表現に「ゆれ」が生じているのも納得はいきます。

以上は理屈上の話に過ぎませんが、参考意見として・・・。
正式に決まっているなら、誰かに教えて頂きたいと思います。(^^;


投稿者 221レ  
投稿日 01月10日(月)23時21分21秒
タイトル 皆さん詳しいですね(汗) 
本文

安田さんさっそくの回答ありがとうございます。
それにしても皆さんとても詳しいですね?
私なんかきちんと記録していなかったので
現役で乗った車両で現在動体保存されているのは
スハフ32 2357(仙コリ・現在高タカ)くらいです。
それもめずらしいからたまたま車内の写真をとってあったのでわかっただけです(汗)

国鉄末期に高崎にあつめられた機関車・客車は本当に全国各地から集められたのですね。
私は鉄道ジャーナルのバックナンバーなどは、甥に取られてしまい現在手持ちの資料がありません。
暖かくなったら息子を連れて鉄道文化村に行って来ようかと思います。

北斗星などに使われている凸凹編成の24系JR東日本のHPでも
24系で25形などの区別はなくなっていました。
24形も2段改造されているので、今は特に区別していないのでしょう。
サシ改造のスシも傑作ですが
改造車とはいえこれらの編成も車齢がかなりのものですので
早いうちに乗る(又は撮る)ほういいでしょう。
14・24系も旧客顔負けのバリエーションになってきて面白いですね。


投稿者 車掌  
投稿日 01月12日(水)14時10分10秒
タイトル 書き込みありがとうございます 
本文

●水ミトさん
詳しい説明ありがとうございます。
>実は43系のウインドシルは他形式より微妙ですが太いです。
そうでしたか。図面をよく見ると、自分が書き込んだ寸法は窓の高さでした。
てきとうなことを書き込んでしまい申し訳ありませんでした。
43系が太かったと言うことはスハ43・44・45・オハ46・47の系列はすべて太かったんですね。
実際にはどの程度太かったのか教えていただけると勉強になります。

●天カメ@燃焼効率さん
>今まで実物で見たブドウ色2号より明らかに濃い!?
>それとも保存時に別の色を塗られてしまったんでしょうか?
実際に保存されている客車等の色は、かなり色あせてしまっている場合が多いので、
本当のブドウ色2号は結構濃い色だと思うのですが...
また、保存時に塗り替えられてしまった車両も多く、私の見た中でも郡山工場のオハフ61等は
あきらかに違う色(赤茶色?)に塗られてしまっています。

>旧客は緩急車の運用向きとかの決まり、無かったんですかね?
車掌室やトイレの位置等で1位側・2位側というのは決まっていますが、
基本的に旧型客車は向きに関係なく連結できるはずです。

●KENさん
はじめまして。
行きはエルム、帰りは北斗星ということで寝台特急の旅を満喫してきたようですね。
>エルム号の中で出会った人が、気軽に話し掛けてくれて。
よい思い出が出来たようですね。大和路環状線さんも書かれていますが、
寝台特急はそういった旅情が残る最後の砦だと思います。 
>将来こうゆう思い出を作る列車の運転士になりたいなあと思っています。
私も昔はそう思っていたのですが...
KENさんはぜひ実現して、立派な運転士になって下さい。

●寝台特急さん
JRのホームページ等の公式資料では14系・24系としか記載されていないので
正式には形?という言い方は存在しなく、形or型というのは通称?なのだと思います。
そのためメディアによって形と型が混在しているのではないでしょうか?
この件は、より詳しい方の書き込みを期待したいと思います。

●221レさん
保存客車の情報ありがとうございます。
ホームページ内の保存客車資料館の方は、しばらく開店休業状態だったのですが、
今年は写真の追加等をはかっていきたいと思いますので、情報は非常に助かります。
また、私も当時(旧型客車が現役だった時代)はあまり記録はしていなかったのですが、
スハフ32 2357の仙コリ時代は地元だったので間違いなく乗っていたと思います。
(狭窓の客車に乗ったことを覚えていますので)

●安田 真紀さん
横川のオハネ12 29は昨年夏に見てきたのですが、車両のあちこちの長崎の文字が見受けられ、
知っている人が見ればいかにも「ながさき」に使われていた車両だということがわかるような状況で、
うれしいかぎりでした。
今年度中には、更に展示車両が増える予定ですので、私も再度訪れたいと思います。

●大和路環状線さん
いつも詳しい書き込みありがとうございます。
「型」と「形」及び「台」と「代」の件ですが、先ほども書きましたが、JR(国鉄)としての
正式な呼び方はないのでは?と思われ、それが雑誌等で混在している原因だと思いますが、
大和路環状線さんのお考えは非常に参考になりました。
これからもよろしくお願いします。


投稿者 足袋助大キト
投稿日 01月12日(水)17時33分16秒
タイトル 系/型/形のひとり言 
本文 昔、竹下客車区が健在だった頃の思い出です、14系15形は落成当時よく聞きました、
この手の呼び方は聞き覚えがなかったので覚えています、
助役が「14系の15形ができたもんな〜」と言って、説明書を見た覚えがあります。
称号呼称も戦前戦中戦後の流れを一貫して見ると、呼び方の答えも一貫しませんが
系は10・20系以降からでしょうか、
何か文書要覧で呼んだ覚えがありますが、探しておきます、
以前博物館でスハ43系という呼び方を聞いて新鮮に覚えた記憶があります、
客車区の職員方々は、しきりに形式と呼んで余り系と言うのは、
20・12・14系程度しか聞いた覚えがありませんでした、
「窓ガラスの割れたとや、スハのヨンサンか、オハのヨンナナじゃなかとか!
ヨンサンゴナナイチならスハやろが!」ってな具合に自区の車は癖までしってました、
そして「あさかぜ」は胸を張って「これが20系たい」と自慢げに語っていたのを思い出します、
現場では形式番号と記号番号で呼んでいたので、
新系列以降が系呼称の始まりかと思っていました、
車両番号も門鉄の現場では100台番号と言う様に呼称し、書類に有ったのを覚えています、
私は100番台と言っていましたが、現場では番台は聞き覚えがありません、
型は機材銘板に記載が多かったですが、車両の型は覚えがありません、
百数十年の時代の移り変わりに応じて変化して行ったと思いますが、もう少し調べてきます。
 実は私自身旧客を系で呼ぶ事に違和感を感じますが、趣味界では定説のようで
現場と趣味界のギャップの一面を見るようです、
まあこれは私のひとり言ですので、聞き流してください。
投稿者のホームページ


投稿者 水ミト  
投稿日 01月13日(木)23時05分00秒
タイトル ウインドシル 等々 
本文

車掌様 こんにちは

>43系が太かったと言うことはスハ43・44・45・オハ46・47の系列は
>すべて太かったんですね。
>実際にはどの程度太かったのか教えていただけると勉強になります。

模型上(80分の1)では、43系が1.8mm、35系(スハ42形)以前が1.5mmを基準にして制作します。
実寸は、知り合いが調べていますので、聞いておきます。

なお43系と製造時期が重なる60・61系列に関しては、ウインドシルの断面形状が
43系35系と異なるそうなので、模型上は悩むらしいです。
こちらも実寸値を後に教えていただくことになっています
(写真で見ると、43系よりは細く見えるのですが)。

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さて一つ質問なのですが、オハニ36はシートピッチは43系と共通に制作されていますが、
元々は鋼体化改造系列の63を名乗っていました。
ということは、オハニ36の台枠(車体)は60・61系列と同じなのでしょうか?
それとも、実際は新製車だが、何かの事情で鋼体化改造系列に組み込まれたとか。
60・61系列で43系と同じシートピッチ車はオハニ36だけですよね?

御教示いただければ、幸いです。宜しくお願いいたします。


投稿者 車掌  
投稿日 01月14日(金)09時02分37秒
タイトル RE:系/型/形のひとり言 
本文 足袋助大キトさん
国鉄時代の現場での話をしていただき、本当に参考になりました。
国鉄内部では、やはり形の方が正式だったようですね。
この話題については別ルートでも調べてみたのですが、すくなくても国鉄時代は
「形」と「型」については「形」が、「番台」と「番代」については「番台」が正式だったようです。
とはいっても「型」が鉄道ダイヤ情報誌等・「番代」が鉄道ピクトリアル誌等の
専門誌で使われているので、複雑な状況になってしまっているようですね


投稿者 安田 真紀  
投稿日 01月14日(金)20時55分04秒
タイトル 隠し子はまだいたりして… 
本文 去年デビューしたSLすずらんに使用の14系はやっぱり似合わないですね。
窓の空くスハシ44があるから…。最低でも50系を使わないと。
そう言えばノロッコ号に使用の客車は50系。JR北海道は増収を見込んで?
「隠し子」的に保管していたのでしょうか。
(函館線ローカルから引退したのは5年以上前だったような…。)
まだ車庫に留置されているかもしれませんね。本当だったりして。


投稿者 足袋助大キト  
投稿日 01月14日(金)21時13分25秒
タイトル 客車区での独り言 
本文 気になる事があって、久しぶりに助役へ電話をしました、
駅務出身の方が途中スハ43571をスハヨンジュウサンゴヒャクナナジュウイチと発音したので、
スハノヨンサンゴウナナイチではないかと聞いたら、正式には前者が正解だそうで、
現場では読み違いや勘違いを防ぐ意味で、後者の読み方をしていたとの事、
安全輸送が最優先なので、安全を確保する意味で局所的に内規が有ったようだと話してくれました、
博多駅などの通過駅で客車区のサービス班が短時間に処置するには、
確実な記号番号を掴む必要で後者の呼び方をしていた訳で、
25年もそれが正規の呼び方と思い込んでいました、
話の中で835番をハッピャクサンジュウで切ったために、検査掛が830番の番号を探しているうちに
発車時間となった、始末記を話して頂きましたが、
言葉だけでの伝達には今でも苦労しているようです。
ア〜独り言。
投稿者のホームページ


投稿者 車掌  
投稿日 01月15日(土)12時58分03秒
タイトル RE:ウインドシル 等々
本文

水ミトさん、こんにちは。

>模型上(80分の1)では、43系が1.8mm、35系(スハ42形)以前が1.5mmを基準にして
>制作します。実寸は、知り合いが調べていますので、聞いておきます。
1.8mmと1.5mmですか、ずいぶん違うのですね。
写真で見ると確かに少し太いような感じはしますが、
実寸を調べていただいているとのこと楽しみにしています。

オハニ36の件ですが、詳しい歴史背景はわからないのですが、
確かに製造時は鋼体化客車系列の60系列であるオハニ63を名乗っており、
台枠的にも60系列の他の合造車(オハニ61・スハニ62等)と同じUF128を使用しています。
ところが、製造時より急行列車使用を前提に設計されたようで、
車内は43系列に準じた設計を行ったようです。

>60・61系列で43系と同じシートピッチ車はオハニ36だけですよね?
そのはずです。
しかし60・61系列には、ほとんど新製ながら60・61系列になっているスロ60等もありますので
鋼体化客車も複雑なものがあります。


投稿者 パソコン修理職人
投稿日 01月15日(土)23時13分14秒
タイトル ノロッコ号の50系 
本文

初めまして。
JR北海道のノロッコ号用の50系ですが、
釧路のノロッコ号は岩見沢に辛うじて残っていた50系から改造されましたが、
富良野ノロッコ号は岩見沢の車両が無くなってしまったので、
津軽海峡線の救援車両として留置していた原型オリジナルの50系から改造されました。
JR北海道はノロッコがブームですが、今後は適当なタネ車がなくてどうなるかが楽しみです。
やはり余剰ぎみの14系座席車からの改造が妥当でしょうか。

JR東日本も、あれだけあった50系を廃車にしないで、車両が少なくて困っている
仙台地区を走る455系のサハ車にでもすれば良かったのではと、個人的に思ってますが。


投稿者 すたまく
投稿日 01月18日(火)21時18分40秒
タイトル 旧型客車が動いていた。
本文

はじめまして。
少々古い話になりますが旧片上鉄道の吉ヶ原へ今年1/2に行きました。
気動車ばかりを使って運転しているものと思い、半ば諦め気味で
展示中の客車の中で家族と昼食をすませました。
しかし展示物だと思っていたDD13には、なんとその後エンジンがかけられ、
点検が始まったのです。

公開運転終了後もDDのエンジンがかかっているので
もしやと思って待っていると案の定、3両の客車を従えて
駅を出発してゆきました。家族が一緒だったので
そこで帰路についたのですが、いつ乗れるのでしょう?
そのまま3両は駅から200m程の場所に停車していました。
どなたかご存知でしたらお教え下さい。


投稿者 サハシ165
投稿日 01月19日(水)11時45分27秒
タイトル ご質問 
本文

初めて投稿します。いつも楽しく見させていただいてます。
さて、初歩的な質問で申し訳ありませんが、どなたか教えてください。

1,スハシ44は改造車らしいのですが、ニセコ用に改造されたと聞きました。
このニセコはリバイバルの時なのか、最初の時代でしょうか。
知識がないのでこの内容も違うかもしれません。

2,筑豊線の客車列車が唯一残ってるそうですが、12系客車でしょうか。
オリジナルの色ですか?また詳しい編成がわかれば機関車を含めて教えてください。
また過去になりますが、久大線のものも知りたいです。


投稿者 車掌
投稿日 01月19日(水)15時29分53秒
タイトル スハシ44等 
本文

サハシ165さん、はじめまして。

質問1のスハシ44ですが、昭和63年に「C62ニセコ号」(リバイバルの時)用に
スハフ44から改造されたものです。
ちなみに、今回の「SLすずらん号」用に、14系との併結化改造等の再改造も
うけています。

質問2の筑豊線の客車列車についてですが、使用しているのは50系です。
色はオリジナルの赤ですが、冷房化改造されているため1000番台となり、
外観はオリジナルとはちょっと違います。
牽引機は JR貨物 門司機関区〔門〕のDD51で客車は6両編成です。
ダイヤ等詳しいことは、私のページの客車資料館をご覧下さい。
ちなみに、惜しまれつつも昨年末に廃止されてしまった久大本線の客車列車ですが
こちらは、12系と50系の列車が存在していました。
牽引機は豊肥久大運輸センターのDE10が使用されていました。



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